
2025年夏の甲子園に広島県代表で、出場する広陵高校。
甲子園には、夏26回、春27回も出場してる高校野球界では、名門中の名門校。
そんな常勝軍団を率いてるのが、中井哲之監督。
今回は、中井哲之監督の評判・手腕について調査しました。
すると、広陵高校を強いチームにするために、とんでもなく厳しい指導を過去にしていることが判明しました。
【中井哲之】広陵高校野球部監督の評判は?
中井哲之 - 検索 / X
中井哲之監督は、広陵高校の硬式野球部の監督をしながら、社会科教諭もしています。
ちゃんと先生として、教壇に立ってるわけですね。
だから、中井哲之監督の評判を調査するうえでは、多方面での顔を意識してみました。
具体的には、
- 野球部監督として部員や親御さんからの評判
- 社会科教諭として生徒や同僚からの評判
について調査しました。
野球部監督として部員や親御さんからの評判
野球部員が、中井哲之監督を語ってるインタビュー記事がありました。
2019年にキャプテンを務めていた秋山功太郎さんは、中井監督はどんな人ですか?の問いに。
「自分たち1人1人のことをいつも気に掛けてくださっています。人としてダメなことはちゃんと叱ってくれますし、褒めてもくれます。将来、自分もこんな大人になりたいと心から思える方です」
【キャプテンに聞きました】秋山功太郎(広陵)「1試合1試合を大事に戦っていきたい」 | Timely! WEB
っと答えてます。
指導者として、これ以上ないような誉め言葉を貰ってますよね。
「将来、自分もこんな大人になりたい」
私も、誰かに言われたい言葉ですわw
私もかつては、高校球児をしてましたし、その時にキャプテンも務めた経験があります。
その経験から、自分の監督みたいに将来なりたいななんて思ったことないですけどねw
このような考えが一般的かなと思うので、中井哲之監督と野球部員の絆の深さが想像できますよね。
この絆の深さは、中井哲之監督の指導方針
「考えんとうまくならんだろうが」
が関係すると思われます。
悪く言うと放任主義っと感じるかもしれませんが、中井哲之監督は平日の全体練習は18時ほどで切り上げ、あとは22時半の寮の就寝までの時間の使い方は選手に委ねてます。
凄くないですか!?
どうしても、あれこれ教えたいのが指導者心理ですが、そこをグッとこらえて部員の自主性にかける。
なかなか難しい指導方法かなと。
でも、この指導法によって甲子園常連校の強いチームを作り上げてるわけです。
野球部員の親御さんからの評判については、調査しましたが分かりませんでした。
実際のところ、どうなんでしょうかね?
私的には、インタビュー記事や生徒の評判から察するに、高校野球の指導を通して、野球の技術はもちろんのこと、人間性も成長させてくれる監督なのかって印象を抱きました。
社会科教諭として生徒や同僚からの評判
中井哲之監督の学校の先生としての評判は、どうなんでしょうか?
これについては、詳細が不明でした。
余談ですが、高校野球の強豪校の監督は社会科教諭が多い説ってのがありましてw
- 大阪桐蔭:西谷浩一監督(社会)
- 横浜::渡辺元智元監督(社会)
- 八戸学院光星:仲井監督(社会)
- 花巻東:佐々木監督(社会・日本史)
- おかやま山陽:堤監督(社会)
- 神村学園:小田監督(社会)
- 沖縄尚学:比嘉監督(社会)
こんなにも、社会科教諭がいるんです。
理由としては、社会科は教育学部以外の学部で取れやすいから、野球の監督さんとかはどうしても社会科の先生が多くなるらしいです。
私の勝手なイメージだと、体育の先生が多いと思ってました。
ってか実際に私が所属していた中学・高校と野球部の監督をしていたのは体育の先生でした。
中井哲之の厳しすぎる性格・指導は家族にも
「中井哲之 息子」の検索結果 - Yahoo!検索(画像)
中井哲之監督は、生徒のことを信頼して指導をするってのが基本方針としてあるんですが...
めちゃくちゃ厳しい一面を垣間見える時もあります。
その一つのエピソードとして、
中井哲之監督は、息子惇一との縁を切った
過去があります。
どういう事かと言うと、中井哲之監督は、家庭のことは一切しない父親だったそうです。
それだけ、指導する広陵高校の野球部に心血を注いでいたのでしょう。
その結果、惇一さんの入学式、卒業式や運動会はもちろん、父親面談でさえ一度も出ていない状況。
惇一さんが、野球を始めたとしても一切関与せず、キャッチボールさえしたことがありませんでした。
しかし、惇一さんは中学卒業後、父親が監督をしている広陵高校に相談なく進学し、野球部に所属しました。
自宅でも父親を「監督」「先生」と呼び、敬語で話す惇一さん。
中井哲之監督も「一生徒、一部員」としてしか見なかったそうです。
惇一さんが2年生の秋になると、私情抜きでリーダーシップを評価し、新チームの主将に指名。
ますます、監督と部員という関係が強くなっていき、その厳しすぎる姿勢は。
中井哲之監督が父親らしい態度を見せないことを学校側も心配し、「息子さんに厳しすぎるんじゃないですか」と“注意”されたこともあった。
そうして、迎えた惇一さんの最後の甲子園がかかる大会。
結果は、3回戦敗退となりましたが、キャプテンとして、周りの部員に気を遣う姿を見た中井哲之監督は、ようやく息子に
「お前、よう頑張ったな」
っと優しく接したようです。
どうですか?この凄まじい家族の縁をいったん切ったエピソード。
やり過ぎなんじゃないってくらい徹底してますよね。
こんくらい中井哲之監督は、自分にも家族にも野球部員にも厳しい一面はあるって事です。
審判を批判した2007年夏の甲子園決勝
スポーツ選手としてタブー中のタブーは審判批判。
これは、どんなスポーツでも共通して言えることだと思います。
そんなタブーを中井哲之監督は、2007年夏の甲子園決勝でやってます。
状況は、こうです。
2007年8月22日、夏の甲子園決勝、広陵対佐賀北。
4対0で広陵高校がリードの8回裏一死満塁で、カウント1-3。
広陵高校エースの野村祐輔投手が投じた一球。
ジャッジの難しいコースでしたが、結果はボール。
押し出しで一点を献上。
そこから、球場の雰囲気が一気に変わり、飲まれた広陵高校は、次打者に逆転満塁ホームランを打たれました。
この問題となった一球に関して、広陵高校の中井哲之監督が、審判を猛烈に批判。
4対5で敗れた試合後、宿舎でのインタビューが始まると中井哲之監督はまっ先に言った。「ストライク、ボールで『あれはないだろう』というのが何球もありました。もう真ん中しか投げられない。少しひどすぎるんじゃないですか。負けた気がしないですね。言っちゃいけないのはわかってます。でも、今後の高校野球を考えたら……」
さらに、となりで号泣する野村を横目で見ながら、押し出しになった1球についてこう言った。「あの1球は完璧にストライク。ウチでは審判の判定にどうこう言う教育はしていない。その子が言うんですから。キャッチャーは『どうしたらいいですか?』という顔をしてました」
2007年夏の甲子園決勝、広陵・中井哲之監督はなぜ審判判定への異論を唱えたのか。 | BBMスポーツ | ベースボール・マガジン社
実は、この審判批判は、中井哲之監督が激昂して発したわけではなく。
一生懸命プレイした生徒を悪者にしないために、クビ覚悟で自分が悪者になるために発したものだったんです。
こんくらい熱くないと、強豪校の監督は務まらないのかもしれませんね。