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阿部慎之助の父驚きの経歴詳細!同級生・掛布とのエピソードや野球の実力他

2023年10月8日

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2024年シーズンから読売ジャイアンツの監督に就任した阿部慎之助さん。

巨人一筋で選手生命を終え「チーム史上最高の捕手」と言われた彼の父について調べてみました。

阿部慎之助さんの父・東司さんは、元阪神タイガースの掛布雅之さんと高校時代同級生だったとか面白い情報が多々ありましたので紹介します。

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驚きの野球歴で名門習志野高校へ入学

阿部東司さんは、こんな人です。

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【画像】プロ野球選手のつくり方――巨人軍阿部慎之助選手のお父さんの子育て論! 1/3 - ライブドアニュース (livedoor.com)

うん、息子の慎之助さんとそっくりですね!目元とか、柔和な顔立ちは親子で共通しています。

ダンディで優しそうなお父さんなんじゃないかなと。

お父さんの東司さんも、かつては野球に打ち込んだ青春時代がありました。習志野高校野球部出身ですからね。

習志野高校と言えば、千葉県にある野球の強豪校です。吹奏楽部も盛んで、野球応援で奏でられる音は美爆音として有名です。

強豪校に入学できるくらいだから、幼いころから野球の英才教育を受けてきたのかというと、そうではないんです。

東司さんが、本格的に野球を始めたのは小学生6年生。

それまでは親せきとキャッチボールくらいはしていましたが、チームに入って野球をしたのは小学生6年生です。

その後、中学野球へ進みます。

しかし、東司さんは家業を手伝うために練習を休みました。

そのことがきっかけで3年生に野球部を首にされてしまいました。

この危機をどうしたのかは?それは常人には理解できない行動なんです。

野球部をやれなくなった東司さんは、クラスメイトを誘ってサッカー同好会を作りました。

ポジションは、ゴールキーパーでサッカーのセンスは皆無だったようですw

楽しくサッカーをしていたのですが、自分を首にした3年生が野球部を引退すると、野球熱を抑えることができずサッカー同好会の仲間に「俺、やっぱり野球やるぞ」と告げました。

すると当然のようにかなり反発されました。

そりゃそうですよ!自分で作っておいて、急に辞めるなんてw

そこを東司さんは、見事に解決します。

自分が生徒会長をやってサッカー同好会をサッカー部にしてあげたのです。

部になることによって予算3万円が貰えるようになりました。こうして一件落着させて晴れて野球部に復帰しました。

復帰から、一生懸命部活に励んでいた東司さんへ習志野高校の監督がスカウトにきます。

中学3年生で身長が180㎝近くあった体格をみて即決で合格となりました。

高校入学までに野球をやっていた期間は、小学6年生の1年間、中学2年生から中学3年生夏までの1年半

このわずかな野球歴で名門習志野野球部へ入部するなんて体格もそうですが、よっぽどセンスがあったんでしょう。

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阿部慎之助の父は掛布と同級生

東司さんは、習志野高校の野球部で捕手を務めました。

その時の同級生にいたのが、掛布雅之さん。

東司さんと掛布さんとで3、4番を打っていました。

当然、掛布さんが4番でしょと思いますよね?

驚くことに4番は東司さんが打っていたんです!!

2年生で4番を打った掛布だが、3年生になると3番になった。代わって4番に座ったのが、捕手の阿部だった。

4番は阿部慎之助の父/掛布雅之4 - 野球の国から 高校野球編 - 野球コラム : 日刊スポーツ (nikkansports.com)

後の『ミスタータイガース』と呼ばれるほどの選手・掛布さんを抑えてチームの主砲を任されていたんです。

凄いですよね!!

なんで最終学年の3年生の時に4番に抜擢されたのかは、調査してみると面白い情報がありました。

元々掛布さんは、高校時代のバッティングスタイルはヒットを量産するタイプで中距離ヒッター。

公式戦でのホームランは0で、その代わり2塁打3塁打のの多い選手でした。

こういうバッティングスタイルは、3番が適任だと監督が思ったのだと思います。

そこで4番へ白羽の矢が立ったのが、体格にも恵まれていて可能性しか感じさせない男・東司さんだったのです。

その底知れない可能性は掛布さんも認めているところです。

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選手登録の身長をサバ読んでいた

もしかしたら強豪校あるあるかな?という話です。

県大会に選手登録するためには、高校野球連盟に身長/体重を教えなくてはいけません。

そんな時のひとコマで、当時168㎝だった掛布さんは170㎝と登録し東司さんは、179㎝なのに180㎝で登録したらしいです。

掛布は(千葉大会に)170センチ超で登録していましたが、そんなになかったです。168センチぐらいでした。

4番は阿部慎之助の父/掛布雅之4 - 野球の国から 高校野球編 - 野球コラム : 日刊スポーツ (nikkansports.com)

確かに選手登録で身長を見たときに168㎝って記載されていたら あれ?大したことないのかな?と思う部分はありそうですよ。

相手にナメられないために、ちょっとサバを読むもしかしたら強豪校あるあるなのかもしれません。

余談ですが、私が現役の時にもこのような場面はありました。

しかし、馬鹿正直な私はそのまま自分の身長/体重を教えたと思います。

177㎝/75㎏だったかな?これサバ読んで180㎝/80㎏にしてたら一気になんか凄そうな選手感出ますよねww

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阿部慎之助をホメて育てようと思ったきっかけは掛布の父

まぁ~昔の話で時効だと思って読んでくださいw

習志野高校で甲子園を目指して練習に励んでいた東司さん。

当時は当たり前のように体罰がありました。

何かミスをすれば、愛のムチという名の鉄拳制裁をお見舞いされます。

そんな時代の中、掛布さんの父は東司さんのバッティングゲージの後ろで 「阿部良いね!阿部良いね!」とホメてくれたそうです。

その時の体験がとても衝撃的だったようで、東司さんは 「自分の息子はホメて育てよう」と決めました。

ただ驚くことに、掛布さんの父は自身の息子・雅之さんにはかなり厳しかったみたいです。

東司さん曰く、他の選手をホメていた理由は「人の子だから、どうでもいいから」だそうですw

私の話ですが、少年野球時代に体罰を経験しました。

当時の監督がめちゃめちゃ怖い人で、顔色が悪いだけでぶん殴られていましたw

今思うとホント理不尽すぎるw

しかし、私はチームの中ではそんなに殴られる方ではありませんでした。

なぜなら野球が上手かったから

・・・・ではなく!!

何か怒られそうな状況になった時に、怒られるのが怖くて怒られる前にもう泣いていたからですw

危機回避能力が高いですねぇ…しかし、 恥ずかしい話です…w

話を戻します。

東司さんは本当に息子の慎之助さんをホメて育てたのか?気になったので調べたら、東司さんが子育てについて語っている記事を見つけました。

「とにかく褒めてください。野球だったら野球を好きにさせてください。『スゲー』と『惜しい!』だけ。とにかく褒めてあげてください」

プロ野球選手のつくり方――巨人軍阿部慎之助選手のお父さんの子育て論! - ライブドアニュース (livedoor.com)

上記のようにちゃんと語っていますね。

私も見習ってとにかくホメる子育てやってみようと思います!!

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